日高神社再建基金日高神社再建プロジェクト実行委員会久世野市のお知らせへ戻る
昭和34年に撮影された桜野町の社殿

地域の記憶を、もう一度この場所へ。

日高神社
再建プロジェクト

桜野町から失われた小さな神社を、地域のみんなで未来へつなぐための再建基金です。

昭和34年撮影「桜野町の社殿」

なくなった神社を、
記憶の中だけにしない。

かつて桜野町には、地域の祭りと日々の暮らしを見守る小さな神社がありました。昭和36年の台風で社殿が大きな被害を受け、翌年に残存部分が撤去されてから、再建されないまま六十年以上が過ぎています。

市民アーカイブの写真と地域に残る資料が結びついたことをきっかけに、住民と有志が再建に向けた活動を始めました。

夏祭りの会場を準備する地域の人々
地域で受け継がれている夏祭りの準備風景
昭和34年当時の日高神社
昭和34年撮影 桜野町・日高神社

「おとよさん」と
呼ばれた神さま

日高神社に祀られていたのは、豊日高守命(とよひたかもりのみこと)です。地域の人々の無病息災や健康長寿、病気平癒、家内安全を見守る神として信仰されていました。

昭和36年9月台風第18号で社殿が大きく損壊
昭和37年倒壊のおそれがある残存部分を撤去
その後地域の共有地として管理され、再建されないまま現在へ
FOUR OLD WARNINGS

土地に残った四つの言い伝え

不穏に聞こえる言葉の背景には、古い習慣や暮らしの知恵、地域の考え方がありました。

真名を普段は呼んではならない

正式な神名は、祭礼や神事など限られた場で唱え、日常では「おとよさん」と呼ぶ習わしがありました。神社が失われた後、理由が忘れられ、「真名を呼んではいけない」という戒めとして残ったと考えられます。

空き地の石を持ち帰ってはならない

跡地には、黒曜石に似た黒い石が多く見られます。割れ口が鋭く、拾った本人だけでなく、事情を知らずに触れた家族もけがをするおそれがありました。「家の人に悪いことが起きる」という言葉は、子どもへ危険を伝えるための戒めだったと考えられます。

宵祭では、人の数を数えてはならない

祭りは集まった人と楽しむ場であり、人数を数えることは野暮とされました。また、盆の時期には亡くなった人も帰り、ともに祭りを楽しむという地域の考えがありました。その感覚が短い戒めの言葉として残ったとみられます。

祠をみだりに開けてはならない

台風で社殿が倒壊した後、無事だった柱や扉を加工して小祠が作られました。損壊時の傷が残る面を内側へ向け、外側をきれいに見せていたため、扉の内側に深い傷が残っています。

地域の夏祭りの準備風景
地域に受け継がれる祭りの準備
旧神社跡地に残る小祠
現在も地域の人が花を供える小祠

再建で目指すこと

1

小さな社殿の再建

旧社殿の記録を参考に、地域で維持できる規模の社殿を計画します。

2

記録を残す場所

写真、祭礼記録、聞き取り資料を展示し、誰でも地域の歴史を知れる場所にします。

3

祭りをつなぐ場所

今も続く夏祭りと地域の集まりを、次の世代へ受け渡す拠点を目指します。

調べるきっかけをくれた悠人くんから

地域新聞コンクールで大賞を受賞した石井悠人くんは、祖母から聞いた「おとよさん」をきっかけに、かつて桜野町にあった神社について調べていました。

悠人くんの受賞作品を見る
調べるのを手伝ってくれたみなさんへ。おばあちゃんが話していた「おとよさん」が、どんな神さまだったのか、やっと分かりました。昔の神社のことを調べているうちに、知らなかった町のこともたくさん知りました。神社がまたできたら、昔のことを知っている人も、ぼくみたいな子どもも、一緒に話せる場所になってほしいです。ありがとうございました。おばあちゃんのかみさま、これからよろしくね。石井悠人

実行委員会について

日高神社再建プロジェクト実行委員会は、桜野町の住民、地域文化に関わる有志、保護者などにより設立された市民団体です。久世野市とは別の団体であり、再建計画と基金の管理は実行委員会が行います。

団体名
日高神社再建プロジェクト実行委員会
設立
令和6年10月
基金受付開始
令和6年11月1日
活動内容
再建計画の策定、地域説明会、資料保存、再建基金の管理

日高神社再建基金

社殿の基本設計、跡地整備、地域資料の保存・展示に活用します。

現在の基金額0円目標8,000,000円

0人の皆さまからご協力をいただいています。

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