
地域の記憶を、もう一度この場所へ。
日高神社
再建プロジェクト
桜野町から失われた小さな神社を、地域のみんなで未来へつなぐための再建基金です。
OUR STORY
なくなった神社を、
記憶の中だけにしない。
かつて桜野町には、地域の祭りと日々の暮らしを見守る小さな神社がありました。昭和36年の台風で社殿が大きな被害を受け、翌年に残存部分が撤去されてから、再建されないまま六十年以上が過ぎています。
市民アーカイブの写真と地域に残る資料が結びついたことをきっかけに、住民と有志が再建に向けた活動を始めました。


ABOUT OTOYO-SAN
「おとよさん」と
呼ばれた神さま
日高神社に祀られていたのは、豊日高守命(とよひたかもりのみこと)です。地域の人々の無病息災や健康長寿、病気平癒、家内安全を見守る神として信仰されていました。
土地に残った四つの言い伝え
不穏に聞こえる言葉の背景には、古い習慣や暮らしの知恵、地域の考え方がありました。
真名を普段は呼んではならない
正式な神名は、祭礼や神事など限られた場で唱え、日常では「おとよさん」と呼ぶ習わしがありました。神社が失われた後、理由が忘れられ、「真名を呼んではいけない」という戒めとして残ったと考えられます。
空き地の石を持ち帰ってはならない
跡地には、黒曜石に似た黒い石が多く見られます。割れ口が鋭く、拾った本人だけでなく、事情を知らずに触れた家族もけがをするおそれがありました。「家の人に悪いことが起きる」という言葉は、子どもへ危険を伝えるための戒めだったと考えられます。
宵祭では、人の数を数えてはならない
祭りは集まった人と楽しむ場であり、人数を数えることは野暮とされました。また、盆の時期には亡くなった人も帰り、ともに祭りを楽しむという地域の考えがありました。その感覚が短い戒めの言葉として残ったとみられます。
祠をみだりに開けてはならない
台風で社殿が倒壊した後、無事だった柱や扉を加工して小祠が作られました。損壊時の傷が残る面を内側へ向け、外側をきれいに見せていたため、扉の内側に深い傷が残っています。


PROJECT PLAN
再建で目指すこと
小さな社殿の再建
旧社殿の記録を参考に、地域で維持できる規模の社殿を計画します。
記録を残す場所
写真、祭礼記録、聞き取り資料を展示し、誰でも地域の歴史を知れる場所にします。
祭りをつなぐ場所
今も続く夏祭りと地域の集まりを、次の世代へ受け渡す拠点を目指します。
MESSAGE
調べるきっかけをくれた悠人くんから
地域新聞コンクールで大賞を受賞した石井悠人くんは、祖母から聞いた「おとよさん」をきっかけに、かつて桜野町にあった神社について調べていました。
悠人くんの受賞作品を見る
実行委員会について
日高神社再建プロジェクト実行委員会は、桜野町の住民、地域文化に関わる有志、保護者などにより設立された市民団体です。久世野市とは別の団体であり、再建計画と基金の管理は実行委員会が行います。
- 団体名
- 日高神社再建プロジェクト実行委員会
- 設立
- 令和6年10月
- 基金受付開始
- 令和6年11月1日
- 活動内容
- 再建計画の策定、地域説明会、資料保存、再建基金の管理
REBUILD FUND
日高神社再建基金
社殿の基本設計、跡地整備、地域資料の保存・展示に活用します。
0人の皆さまからご協力をいただいています。
SUPPORT
再建基金を支援する
のコースを選択しています。

皆さまからの支援は、再建に向けた活動に活用されます。
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